頬を抓りませう

 アリアハンから旅立った勇者一行は今、ロマリアでその歩を止めていた。
 その理由は至極簡単、パーティーの要でもある勇者が倒れたから。それも、『旅の扉で酔った』という理由で。
「……まさか、旅の扉で酔って倒れるだなんて……」
「んな事言われても仕方ないだろ……現実にこうして俺は……う゛う゛っ!!」
「きゃーっ!? ちょっ、ちょっとしっかりしてよ!! 出すならエチケット袋に出してよ!!」
 こんな調子だった。

 世界的に有名なオルテガの息子・レドルは旅の扉でのあの感覚がどうやら悲劇的にダメだったようだ。とはいえ、これまで使う機会なんて一度もなかった代物だから知らなくたって無理もない。ともかく、初めての旅の扉でのワープはレドルにとって散々な気分を味わう結果となった。一方、どういうわけかレドルの唯一の同行者であるシェリスは全くの無問題。彼女も旅の扉を経験するのは初めての事なのだが、酔ったりすることは全く、寧ろ本人に言わせれば「あの感覚がたまらなく刺激的」だとか何とか。要するに、旅の扉の虜になってしまったらしい。
 旅の扉一つをとっても、ここまで対照的になるとコンビとしては最早危うい。プラスとマイナスの両極端が同じ場所に集っているようなものだ。今後もコンビを継続させるためには、どう考えてもレドルの方を改善しなくてはお話にならない。
 しかし、今はそのための訓練すら出来る状態ではない。レドルは視界全てがぐにゃぐにゃになってしまったらしく、目に何も映したくないと言ってアイマスクでびっしり視界を覆ってしまっている。
「あう゛ー、暗闇が螺旋を描いてる……」
「こりゃ、本格的にやばいわね……。何かいい対処法はないかしら……」
 覆われた視界にさえ異常をきたすようでは、冗談抜きでやばすぎる。事態を重く見たシェリスは、とりあえずレドルの腹を思いっきりぶん殴って意図的に気絶させた。僧侶がいたらラリホーを使ってもらうという手もあったが、あいにく誰もそんな人材はいない。物好きなレドルがシェリスを見た途端「君と二人だけで世界を救いたい」などと冗談を抜かし、そして本当に他の仲間を一切合財受け付けなかったのだ。
 酔狂にも程がある、しかも出会って間もない、物理的に弱い魔法使いだけを連れて行くとは。しかしそんな常識論とは裏腹に、シェリスはその無茶に是非とも付き合いたいと思っていた。毎日がスリルとサスペンス、そして無茶に包まれる。生来熱血漢と呼ばれたシェリスにとって、これほどおいしく熱いシチュエーションは他にないと思ったのも事実だったからだ。
「ちょっと待ってなさいよ、何とかして解決策見つけてくるからね!!」
 そう言い放ち、帽子だけ宿屋に置いてロマリアの城下町へと駆け出していく。

「……で、真っ先に教会へ駆け込んでくるわけですか……」
「他に思い当たるところがなかったもんで、つい」
 唯一あった心当たりは、教会だった。まだレドルには告げていないがシェリスはもともとこの国の出で、本格的な魔法修行がしたくて治安のいいロマリアを自ら捨て、アリアハンに渡ったのだ。年に数回しかない特別巡視船に高い乗船賃を払って乗せてもらい、やっとアリアハンへの入国が認められた頃には今度はロマリアの治安がカンダタ一人のせいで悪くなっているという噂も聞いた。
 実のところ、カンダタをぶちのめすためにこの国にまた足を踏み入れたとも言える。しかし今はカンダタよりもレドルの事が優先だ。それにカンダタは力自慢の大男と聞いている、とてもじゃないが普通の魔法使いより多少力と体力があるとはいえ、シェリス一人では勝ち目は全くない。カンダタを倒すためにもレドルの力は絶対不可欠なのだが……。
「ムリですね、旅の扉で酔う人を何とかしてくれと言われてもどうにもなりません」
「やっぱムリか……。万に一つの確立で当たりくじを引けるかと思って来てみたんだけど……」
 当然の如く、無理であった。教会内部の仕事には薬を作るものも含まれており、酔い止めなどを処方してもらえるかも、と思ってやってきたのはいいが。さすがに神様でも個人的な体質改善までは蚊帳の外、専門外なのだろうか。結局のところ、これにて万策尽きてしまった。
「そういうのはやっぱり、本人の個人努力でしか治すことは出来ませんよ。出来るだけ早く、治せるようにあなたも環境を整えてあげてください」
「早期治療、ねえ……。環境を整えるとなると……」
 ふと、もう一度旅の扉を潜らせて……というのが頭に浮かんだ。だが、即刻その考えを否定したシェリス。
(やばいやばい、そんなことしたら今度はマジで怒られるわよ……。俺が苦手なの知っててやってるのか、ってさ……)
 出来るだけレドルと仲良くしたいシェリスにとって、先ほどの考えは鬼門以外に他ならない。
「とにかく、一度宿に戻ってもう一度よく考えます。お付き合いありがとうございました」

 解決策を見出せなかったシェリスの気は思いっきり重かった。今のままでは明らかに旅に支障をきたすのは明白だからだ。
 宿屋に戻る、とは言ったものの手ぶらで戻るわけにもいかず、街のど真ん中で無為に時間を潰すシェリス。既に解決策をマジメに考える期にもなれなかった。
 そんなとき、目の前をうら若いカップルが通り過ぎていくのが見えた。ただし仲良しこよし、という雰囲気にはちょっと遠く、女性が男性の頬を思いっきり抓っている状態だった。
(これだわ!! 痛みで他の事に注意を向けられないようにすればいいのよ!!)
 そう考えたシェリスは、即座に宿に戻って部屋に帰還。まだ全快には程遠いレドルの頬を、いきなり指で抓った。
「いでででででっ!!?? にゃっ、にゃにすんだよ!?」
「どうレドル、痛みで酔いを感じてるどころじゃないでしょ?」
「た、確かに酔いどころじゃにゃいが……いてぇーーーってみゃじで!!」
「あ゛、ゴメン」
 ようやくレドルの頬から指を離したシェリス。その頬には思いっきりシェリスの抓った痕が残っていた。グローブ越しとは到底思えない、くっきりとした痕だった。
「もし変なこと考えたりしたら、容赦なく今のを身体のどこにでもかますからね?」
「はい……。それより何で俺抓られたの」
 この答えは結局、かなり長い間聞けないことになる。
 少なくとも今は言えないだろう、まさか『勇者は有名になればモテるから何しても許されるよなあ』と街の中央であの男性が豪語していたのを真に受けた、などとは。

作者:かがみ陸奥さん