Bishop's weed

 けだるい午後の空気を、文字通り吹き飛ばすような爆発だった。一度ではない。立て続けに五発、そして止めとばかりに、ひときわ大きな爆音が大気を震撼させ、石畳の道は静寂を取り戻した。

 ロマリアから半島南部の街を繋ぐ街道は、とても静かな場所なのだった。地中海が穏やかに船を運んでいた頃には、この道も商人や旅行者で賑わったが、魔物の存在が脅威となってからはその活気も失せていた。普段は人の影もないはずなのだが。
 先ほどの爆風によって舞い上がった粉塵から、人影が二つ現れた。
「ふー……すっきりした」
 肩より少し長い青銀の髪を一括りに結んだ男が、晴れ晴れとした笑顔で背伸びする。その横で、男よりも頭二つ分ほども背の低い少女が、男を睨め上げながら悪態をつく。咳き込みながらも、口元に運んだ手は拳に固めたままだ。
「ッ……けほ、信じられんな」
「さすがに、古の魔導師が編んだだけはあるよな。癖になりそうだ」
「ならんで良い!」
 少女はすかさずそう切り返してから、未だに立ち上る砂煙に目を凝らした。先ほどから、仲間の姿が見えないのだ。「まさか、あの爆発に巻き込まれたのではなかろうな」、そんな恐ろしい想像を巡らしかけたところで、聞き知った細い声が聞こえてきた。
「アイビー殿か?」
「スーさんですか、助けてください」
 のんびり届く声からは、苦痛の表情は伺えない。スーと呼ばれた少女、蘿蔔《すずしろ》は、ほっと息を吐いた。どうやら大きな怪我をしてはいないようだ。だが、アイビーが動けない理由を考えて、蘿蔔は続けて聞き返す。
「そこに、アスター殿はおられるか?」
「は、はい。アスター様が、怪我をされまして……」
 アイビーの細腕で、大の男を担ぎ出すことはできない。そして彼女の性格を考えれば、天使と仰ぐほどの憧憬を抱くそのひとを、そのまま置いておくこともできないのだろう。
「いま、助けにゆくからな。いま少し、辛抱してくれ」
「お願いします」
 未だに大きく膨張したままの砂塵を正面に見据えて、蘿蔔は大きく息を吸う。一瞬の後。
「お前も行くのだ、そも、すべてお前のせいなのだからな!」
 他人事のように始終を見守ろうとしていた賢者の首根っこを掴み上げ、砂煙に放り込んだ。

「スーさん」
 幾分か蒼ざめた表情で、魔法使いの少女は蘿蔔を見上げた。先ほど聞いた声とは裏腹に少女はひどく動揺しているようで、むしろ怪我をしているアスターの方が落ち着いていた。そのアリアハンの勇者は、蘿蔔を見上げて小さく苦笑する。
「すみません。大したことは、ないんですが」
「大したことあります。こんなに血が出てるんですよ? さっきの爆発で、薬草も飛ばされちゃって……」
 膝が割れたらしく、脹脛から足首にかけて大量の血液で濡れていた。応急処置として巻き付けてある布も、すでに赤く染まり切っていて甚だ頼りない。勇者の傍らに座り込むアイビーは、すでに涙声だ。
「大丈夫だ、すぐにドラセ……」
「あー、アイビー見っけ。……無事だったんだな。良かった、良かった。」
 慰めるように膝を折る蘿蔔の背後から、この状況とは全くもってそぐわないとても陽気な声がして、長身の賢者が現れた。呆れる勇者と武闘家をよそに、消沈していた魔法使いが顔を跳ね上げた。
「兄さん……色いろ申したいことはありますが、今は……もっと早く来ていただきたかったです」
「ごめんな、アイビー。でも、お前に怪我がなくて良かったよ」
「そういうことでは……」
「いやいや、兄さんはお前の無事な姿が……」
 埒が明かん、蘿蔔は深く溜め息を吐くと賢者の背中を強かに叩いた。強か過ぎたようで、長身はそのまま前につんのめったが、蘿蔔は構わずその外套を引っ張り上げる。
「ドラ賢者め、さっさと治癒呪文を使わんか」
「あのさぁ、スズ。前から言ってるけど、ドラ賢者はやめて欲しいんだよね」
 鼻を押さえながら不平を唱える賢者の姿に、更なる苛立ちがこみ上げた。蘿蔔は、なおも言い募ろうと外套を引く。しかし続くはずの蘿蔔の怒声は、アスターの掠れ声によって遮られた。
「悪いんだけど、喧嘩は後で。おれ、マホトーンが切れてないんだ」
「だから、兄さん……アスター様に」
 アスターの言葉を継いで、縋るような眼差しを向けるアイビー。義妹の健気なお願いは、この賢者をもってしても無下にはできないようだった。困ったように頬をかくドラセナの姿に、もうふざける事はないだろうと、蘿蔔は握っていた外套を放してやる。ドラセナは、アスターをちらりと見て
「あー……悪いな、アスター。僕も、魔力切れなんだ」

 そりゃあ、あれだけイオナズンを連発すれば、魔力も切れるよな。

 疲れきった表情のまま、アスターの唇が動く。だが、口から漏れたのは乾いた笑いだけだった。

 やはりこやつ、ドラ賢者以外のなにものでもあるまい……
 蘿蔔は、これ以上の問答を諦めてアイビーに顔を向けた。ロマリアまでは、まだずいぶん距離がある。無理をせずに、今日はここで野営をしよう、明日にはアスターの「呪文封じ」も解呪されているだろう、そう励まそうとしたのだ。
「あ、アイビーど……の」
 うつむいたまま動かないアイビーからは、冷たい空気が放たれているようだった。少なくとも蘿蔔は、体感温度が五度は下がっているだろうと、身震いする。搾り出すように吐き出した声も、心なしか震えている。
「アイビー、大したことないから、大丈夫……」
 凍りついた蘿蔔の声に、魔法使いの異変を感じ取ったのだろう勇者が慌てて声を掛けたが、すでに時遅かった。
「わたし……調合くらいならできます……兄さん、薬草を探してきてください、今すぐ……」
 静か過ぎる声が、逆に恐ろしかった。アリアハンを共に旅立って以来の付き合いだが、蘿蔔はアイビーがここまで怒った姿を見たことがない。普段から穏やか、どちらかといえばおっとりとした口調で話す少女だが、その声にはいつも温かみがふくまれていた。同い年の友人が持っていた知られざる一面に、蘿蔔はただ驚いて、身動きも取れないでいる。
「で、でも、アイビー。アスターも大したことないって……」
 吃驚しているのは、どうやら彼女の義兄も同様で、引きつった笑顔を浮かべて怒れる魔法使いを宥めにかかった。しかし、今回はどうやら悪ふざけが過ぎたようだ。沸点を超えてしまった彼女の怒りは解けることなく、マヒャド級の冷たい視線がドラセナを射抜いた。
「もとはといえば! 兄さんが、派手な呪文ばかり使うから……!」
「……は、はいッ」
 姿勢を正すドラセナに向かい、アイビーは森の方を指差した。
「文句を言っていないで、行ってきなさい!」

 古木の裏で、ドラセナは黙もくと薬草を採取していた。
 監視という名の下に付き合っている蘿蔔だが、むしろ彼の知識に助けられながら、共に薬草採取に精を出していた。
「しかし、意外だな。真面目過ぎて、逆に不気味だ……」
 そうひとりごちてから、蘿蔔はひとり笑う。見るからに元気のない義兄の様子を見る限り、ドラ賢者の放蕩にはアイビーのお説教が一番効くらしかった。
「まあ、アイビー殿を怒らせるのは、金輪際にしたいところだがな」
 頂点を極めると、むしろ周囲を凍らすほどに冷たい空気を放つアイビーの静かなる怒りを思い出しながら、蘿蔔は思わず身震いした。まあ、すべてはドラセナの所業次第なのだが。深い溜め息を吐きながら、大人しく薬草を探しているはずの賢者に視線を投げる。
「……うん?」
 屈んでいたはずの長身が、立ち上がってどこかを凝視していた。何事かと賢者の視線を追うと、はたしてそこには、足を負傷して動けないはずの勇者の姿があった。
「アスター殿が……なにゆえ……?」
「マホトーン、切れたんじゃない? けっこう時間も経ったしね」
 独白するように呟いたはずの声を聞き取ったのか、ドラセナが答えを返してきた。蘿蔔が顔を向けると、賢者はかすかに笑って手招きをしてくる。仕方なくそちらへ歩いてゆく蘿蔔を確認してから、男の赤い双眸は再び勇者の姿を追った。
「ひとりでのんびり待っているような性格じゃないしね、彼も。苦労人だから」
 スズと同じだな、そんな軽口をたたきながら笑いかけてくる長身を睨め上げて黙らせると、蘿蔔もまたアスターに視線を向けた。ふと、これまでドラセナによってもたらされた、アスターの不幸の数かずに思いを巡らす。
「ふむ……義兄君は、苦労人に義妹君を任せるのが不安ゆえ、勇者殿に意地悪をされているのか?」
 意趣返しとまではいかないが、これまで勇者の巻き添えで食らってきた騒動へのささやかな報復もかねて、蘿蔔はあえて意地悪に問いかけた。だがドラセナは寂しげに微笑んでから、
「どうかな……苦労人、嫌いじゃないから。それに……」
 か細い声で答えて、切れ長の目を勇者に向ける。

「……それに……どうした?」
 蘿蔔は、そのまま沈黙してしまった賢者を見上げる。そして、脱力した。
「心配してくれた礼じゃなッ……」
 何事か叫んだようだが、どちらにしろ、ろくでもないことだろう。そう結論付けて、大仰に手を打ち払う。つい今しがた前方に倒れ伏した賢者の、その手のひらで燃え上がっていた拳大の炎の塊が霧消したのを確認してから、蘿蔔はアイビーの待つ街道沿いの広場に向かって歩き出した。

 広場では、調合の道具を用意したアイビーと、そのすぐ側で仰向けに寝転ぶアスターが待っていた。魔法使いの手には、明らかに薬草とは違う愛らしい花が握られていて、よく見れば、アイビーの頬はその花弁と同様に赤く染まっていた。寝転ぶ勇者は、そんな魔法使いを楽しげに見ている。
「礼……か、ふむ、そういうことだったか」
 制裁の強打に沈んだ賢者の、謎の言葉を思い出した。確かに、負傷した勇者を一番心配していたのは魔法使いの少女だった。心配してくれた礼、おそらくは、アスターが照れ隠しに使った、自分への言い訳だったのだろう。
「アスター殿は、自分のための草ではなく、アイビー殿への花を手折っていたわけだ」
 見ていてこそばゆくなるような、新しい関係を築きはじめている勇者と魔法使いの姿を見ながら、蘿蔔は笑った。
「複雑なる、兄心というやつだな」

 了

作者:こもり

そういえば、同盟のお絵かき掲示板に初めて描いたイラストが、薬草調合風景でした。仲間から見た、勇者v魔法使いというのも、違った味わいで良いのではないかと思ったのですが…思っただけで終わりました。がくり。

 皆様、同盟一周年記念企画にご参加いただき、まことに有難うございました!

 2007 10.10 こもり